大橋鎮子の経歴・学歴!花森安治や姉妹との関係~生涯独身の理由は?

      2016/09/24

kurashino_tecyou
この記事の所要時間: 741

NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』

主人公のモデルは『暮しの手帳』を創刊し

大橋鎭子(おおはししずこ)です。

 

生涯を女性の暮らし向上を求めて、女性の

ためのこだわりの雑誌刊行に費やすとともに

自分の目的も果たした女性・大橋鎮子とは

どんな女性だったのでしょう。

 

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大橋鎮子(おおはししずこ):プロフィール

 

生年月日:1920年3月10日

出身地:東京

出身校:日本女子大学(結核のため1年で中退)

 

現在の東京都立三田高等学校である

東京府立第六高等女学校を卒業後、日本興業

銀行に入行。

3年で辞めて日本女子大学に進学するが、肺

結核のため1年で退学。

療養後は日本読書新聞社に入社

 

1946年、新聞社でカットを描いていた花森

安治と妹の大橋晴子・芳子、横山啓一の5人

暮らしの手帖社の前身である衣装研究所

設立。

社長として『スタイルブック』創刊。

1948年には花森を編集長として『美しい

暮しの手帖』を創刊。

現在の『暮しの手帖』の前身で、社名の

暮らしの手帖社はここから来ています。

社長としてだけでなく、「すてきなあなたに」

というエッセイを連載するエッセイストとして

も活躍。

1978年に花森が亡くなってからは編集長も

務めました。

2004年、甥の妻・横山泰子に編集長を譲り

社主に。

2013年3月23日、品川の自宅にて93歳で没。

 

『暮らしの手帖』は女性のための記事で

豊かな暮らしを提案するだけでなく、商品

実験や使用実験、商品開発など、消費者の

立場にたった誌面づくりや企業広告を一切

載せないなど独自のスタイルを今日まで

貫いています。

 

絵に描いた餅のような憧れの生活ではなく

地に足がついた暮らしの中で心身ともに

より心地よく充実した生活を自分が先頭に

立って追求した女性のイメージが浮かんできます。

 

三姉妹の協力で最大限に力を発揮

 

大橋家の長女、大橋鎮子には2人の妹が

いました。

次女の晴子、三女の芳子です。

3人姉妹はそれぞれに優秀な人材ですが、

それぞれの長所を生かしてお互いを補完

し合うことで、より力を発揮できる関係が

あったのではと想像されます。

 

「女性のための雑誌を作りたい」との思いで

創刊された「美しい暮しの手帖」ですが、

1人の視点では視点が偏りやすい。

女性3人が意見を出し合うことで、より充実

した魅力ある紙面ができたのでしょう。

 

幼い頃に父親を亡くした三姉妹にとって

姉妹が力を合わせることは、自然な流れ

だったのでしょう。

 

次女の大橋晴子(おおはしはるこ)

 

活発で行動的な姉の鎮子に対し次女の晴子は

真面目で控えめ。

勉強は得意だけれど運動は苦手なおとなしく

優しい女性で、年が近い鎮子のいい相談相手

でした。

女学校卒業後、丸の内の保険会社に勤めて

いましたが、姉の鎮子の出版社創業に協力

して創業メンバーとなっています。

新会社の設立資金は晴子の保険会社時代の

顧客から借りたということですから、起業の

大きな功労者です。

 

もともと平塚らいてふの思想に魅かれ、文学

を志していたそうですから、姉の誘いだから

というだけでなく出版事業には大いに興味が

あったのでしょう。

 

花森安治の誘いで出版社の創業メンバーの

1人となった横山啓一と恋仲になり結婚。

男の子を1人出産。

この男の子が成長して結婚した女性、横山

泰子が2代目社長です。

 

三女の大橋芳子(おおはしよしこ)

 服飾に興味があり、出版社では衣装面を

担当。

「美しい暮らしの手帖」では鎮子とともに

編集者としてライターへの原稿依頼や、

編集長花森の机の上の整理整頓を担当。

神経質で文具の置き方ひとつで機嫌を

損ねる花森でしたから重要な役どころ

です。

それを務め得る几帳面な性格だったの

でしょう。

 

姉と同じく生涯独身を貫き、2014年10月

21日に89歳で亡くなっています。

暮らしの手帖社では取締役を務めていました。

 

 

花森安治はどんな人物?

 

東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業し

ら花森安治。

卒業後、伊東胡蝶園宣伝部で広告デザイン

に携わっていました。

今でいうグラフィックデザイナーですね。

 

しかし「暮しの手帖」ではイラストだけで

なく、企画・文章・レイアウトまでこなす

マルチな編集長でした。

 

「スカートをはいておかっぱ頭だった」という

逸話があり、これだけ聞くと奇抜な人物の

ように思われますが、スカートも髪を伸ばし

たのも、女性のための雑誌作りにあたって

女性の気持ちを理解するため」

その経験を経て、もともと背広や制服が嫌いな

ため、動きやすく快適という観点から英国の

キルトやキュロットのような服を愛用した

ということのようです。

より快適で質のいい暮らしにこだわった誌面

作りから考えると、さほど不思議なことでは

ないのかもしれません。

 

記事のための実験で燃えているストーブを

倒してみて火事寸前になったり、トースター

のテスト4万枚以上の職パンを焼いたりと

自身で体験することに徹底した人物像が

浮かんできます。

 

大橋鎮子が独身を貫いたわけは?

 

自身は結婚して子供もいましたが、創業に

際して鎮子に、結婚願望があるかどうか

を尋ねたのだそうです。

鎮子が、「生涯仕事を続け、結婚しない」

答えたことで、協力して創業することを

決めたようです。

 

当時は、まだ結婚すれば家庭に入るのが

一般的な時代ですから、鎮子が結婚して

仕事は辞めないとしても家庭を持つことで

仕事にかけるエネルギーの比重が減ること

を懸念したのでしょうか。

 

彼女が「結婚する」と答えれば、自分は手を

引いたのか、あるいは単に彼女の本気度が

見たかっただけなのか。

どういう意図でこういう質問をしたのか

その真意は分かりませんが、こだわりの

実験のエピソードを見ても、彼が物事を

徹底したい人物であることは分かります。

ライフワークとするべき仕事上のパートナー

として鎮子の能力を買いつつも、自分の同志

として、同じように徹底した仕事をする覚悟

を持っているかどうかが気がかりだったの

かもしれません。

「途中で止められては困る」

彼女の能力を評価すればこそ、の質問と見る

こともできるでしょう。

 

鎮子が生涯独身だったのは花森の前で

「結婚しない」と発言したことを意図的に

守り抜いたのか、単に縁がなかったのか

定かではありません。

しかし、彼女が生涯を『暮らしの手帖』に

捧げていたことは確かです。

彼女自身も安森と同じように物事に徹底的に

こだわるポリシーを持っていたからこそ

彼に共感し、彼と仕事をすることを選んだ

のでしょう。

小学校5年の時に父を亡くし、11歳で

喪主を務めてから、自分が家族を支えるため

お金持ちになることを目指した鎮子にとって

雑誌の編集は生きる手段であり、生きる目的

でもあった。

そこには喜びがあり、彼女にとっては家庭を

持つ以上の魅力があったのではないかと

思われます。

「暮らしの手帖」は美しく賢い女性をイメージ

させる穏やかな印象の雑誌ですが、これを

作ってきた人は、強い意志と情熱も持ち主

だったんですね。

リアルな人物の人生を描いた『とと姉ちゃん』

なかなか面白くなりそうです。

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