ポール・ポッツの経歴や実力と現在!恐妻家?契約解除後の公演は?

      2016/07/04

この記事の所要時間: 70

ポール・ポッツ(Paul Potts)

「のどじまんTHEワールド」で久々に来日します。

『ブリテンズ・ゴッド・タレント』

「誰も寝てはならぬ」を歌って感動的な

デビューを遂げたポール・ポッツ。

 

歌声ももちろんですが、見るからにさえない

37歳の彼が歌手になるという夢を実現する

サクセス・ストーリーが観客をより熱狂させ

ました。

その後、何回か来日公演もしていますが、

当初契約した事務所とは契約解除されたと

いうニュースも聞かれました。

 

2014年には日本ツアーをしていますが、

その後はCDもリリースしていないような。

今回テレビへの出演は公演の前振り?

彼のプロフィールや、今どうしているのか

などを調べてみました。

 

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ポール・ポッツ(Paul Potts):プロフィール

 

生年月日:1970年10月13日

出身地:イングランド、キングスウッド、サウスグロスターシャー州

声質:テナー

レーベル:Syco、コロンビア(2007-2010)、ソニードイツ(2010年-現在)

 

歌はいじめられた少年期の大きな慰め

 

父親のローランドはバスの運転手。

母のイボンヌはスーパーのレジで働いて

いました。

兄弟2人、女兄弟が1人います。

少年時代から歌が好きで10歳から聖歌隊に

入っていましたが、内向的な彼は周りから

いじめられていて、歌は喜びであり救いでした。

 

16歳で三大テノールの1人ホセ・カレーラス

の声を聞き、オペラ歌手になる夢を持った

ものの、容姿に自信がなかったポールは断念。

幼い頃にいじめられて自信を失くしたのか、

自信がないからいじめられたのか。

 

彼がもっと早く勇気を奮って夢に向かって

いたら、もっと早く世に出ていたかもしれません。

 

アマチュアでも歌はやめない!

 

1993年にはセントマーク&セントジョン大学

を優秀な成績で卒業。

大学では人文学を専攻していました。

卒業後はスーパーに就職しましたが、

1996年から2003年まではブリストル

市議会の最年少メンバーに選ばれて議員

務めています。

 

プロの歌手になるのは諦めて就職しましたが

アマチュアオペラ劇団に所属し、ボイトレの

レッスンも続けていました。

 

1999年にイギリスの音楽コンテスト番組

『Barrymore’s My Kind of Music』

賞金を獲得し、オペラのレッスンのために

二度イタリアへ短期留学しています。

 

妻との出会いはネットチャット!

 

奥様になるジュリー・アンさんとはネットの

チャットで知り合い、2001年に初めて

スウォンジー駅で顔を合わせました。

そして2年後2003年5月に結婚。

 

結婚後、内向的で自信のないポッツにとって

奥様は絶対的な存在のようです。

アルバムの選曲にも彼女の意見を取り入れて

いるのはもちろん、

「彼女は私にとって絶対的な存在で、

間違っている時でも正しいと思うように

しているので、やはり彼女の意見が絶対

ですかね」

とまで言っています。

ちょっと恐妻家?

いやいや、弱気になる彼の背中を押して

くれる大切な存在なのでしょう。

 

2003年7月、交通事故に遭って長期入院し

たために失業。

多額の治療費も払わねばならず、オペラ劇団

も歌のレッスンもやめました。

この時、妻のアンさんは反対したそうですが、

結婚した矢先ですから、自分の夢のために

妻を路頭に迷わせることはできなかったの

でしょう。

その後、携帯電話のセールスマンをしていた

のは有名ですね。

 

『ブリテンズ・ゴッド・タレント』で一躍スターに!

歌唱の技術としては、この後もっと上手く
なっていると思いますが、やっぱり
この感動は特別です。
この曲を選んだというのも決め手だった
気がしますね。
これも奥様の選曲なのかな。

 

2007年、イギリスのオーディション番組

『ブリテンズ・ゴッド・タレント』で彼が

歌手として世に出たのは、彼のサクセス

ストーリーで皆さまご存じの通り。

彼が歌ったのはオペラ『トゥーランドット』

のアリア「誰も寝てはならぬ」。

この曲をクラシックファン以外も知らしめた

のは彼と荒川静香の功績だと思います。

 

4年間歌から遠ざかっていましたが、番組に

出場するよう背中を押してくれたのは、

やはり奥さまでした。

 

Sycoとの契約解除後は?

 

プロの歌手になり、デビューアルバム

「ワン・チャンス」は彼の立身出世話に

後押しされて大ヒット。

当初は兼業していましたが、2008年には

携帯セールスの職も辞めました。

 

2010年、彼がモデルの映画「ワン・チャンス」

の製作が決まりましたが、その後、サイモン・

コーウェルの「Syco」から契約解除され

映画化も中止に。

しかし2012年には別の製作会社で製作され

2014年には日本でも映画公開に合わせて

彼自身も来日しています。

 

現在はソニードイツと契約して音楽活動を

続けています。

拠点が海外ですし、日本ではあまり情報が

ないので一発野郎的に消えていったのかと

心配したりもしていましたが、ちゃんと

活動しているんですね。

 

今年4月にはドイツ、オーストリアの

ツアーが予定されています。

 

ポール・ポッツの歌の実力やレベルはどうなの?

 

ポール・ポッツが世に出た時から称賛する

声と同時に、彼の歌唱力を疑問視する声も

存在していました。

 

「音大生レベル」

「ステージでアリアは歌えても

オペラは演じられない」

など、たぶん音楽に詳しい方の意見なの

でしょう。

確かに三大テノールと比べると、響きに

ボリュームがないんでしょうかね。

でも声質が若く感じるというか、

実際若いんですが、

 

しかし、ポップスの歌手とクラシックの

歌手で、音の響きやボリューム、音程の

正確さなど技術的な面は比べられるかも

しれませんが、歌唱力――歌として人の

心を打つかどうかは、聴く人の心境や好み

にもよりますから比べようがないです。

 

テノールの神様みたいな存在とクラシックの

基準で比べれば差があるのかもしれませんが

彼の音楽に対する真摯さも含めて、聞く人の

心を動かすとすれば、それは歌の実力として

認めてもいいのではないでしょうか。

少なくとも私は『ワン チャンス』アは

は今でもナンバーの選曲も含めて

大好きなアルバムです。

ただ、あれを超えるアルバムを出して

欲しいなという気持ちはあります。

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