ヤン・リーピンの経歴や年齢!シャングリラ来日で最後の孔雀の舞!

      2016/05/06

この記事の所要時間: 741

踊る精霊と呼ばれ孔雀の舞で知られるヤン・

リーピン(楊麗萍)が4月に『シャングリラ

を引っ提げて来日します。

うれしいニュースですが、なんと彼女の

代名詞でもある孔雀の舞は今回で最後だ

というんです。

 

意外でした。

やはりステージのクオリティに厳しい彼女

だからこその決断でしょうか。

彼女は雲南省の少数民族・白族の出身ですが

「白族は歩けるようになった時から、

死ぬまで踊り続ける」

という話をドキュメンタリーの中で

していました。

だからずっと踊り続けると思っていました。

 

いや、踊りをやめるといったわけではない

ので、ステージでの孔雀の舞は最後という

ことなんでしょうが、ヤン・リーピン=

孔雀と思っていたのでちょとびっくり。

 

今日は、踊るために生まれてきたような

ヤン・リーピンの経歴や興味深いエピソード

などをご紹介!

 

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ヤン・リーピン(楊麗萍):経歴

 

出身:中国雲南省

生年月日:1958年11月10日(58歳)

民族:白族

出身大学:中央民族大学

職業:ダンサー

 

家族を支えるために歌舞団に

 

雲南省大理白族自治州洱源県茈碧湖鎮文強村

に生まれたヤン・リーピンは9歳の時に

シーサンパンナ(西双版納)に転居。

11歳になったばかりの頃、地主階級出身の

父は文革で迫害されるのを恐れて、妻子を

捨てて出奔。

弟1人と妹が2人いるヤン・リーピンは

長女として、母と一緒に家を支えました。

 

12歳の時、西双版納歌舞団が村でダンサーを

募集。

月給が30元と聞いた彼女はオーディションを

受け、もともと踊ることが好きで容姿も美しい

彼女ですから見事合格。

その後10年間所属して各地を講演しつつ

さまざまな民族舞踊を身に着けました。

この間『孔雀公主』でメインダンサーを務め

雲南省の賞を受賞。

これがヤン・リーピンがステージで孔雀を

踊り始めた最初だったわけです。

 

中央での学びと成功

 

1980年に引き抜かれて民族歌舞団に所属。

北京に上京して、中央民族大学にも在籍。

この頃から振り付けも初めました。

1989年、自作のソロダンス『孔雀の魂』

が全国舞踊コンクールで創作賞と演技賞を

ダブル受賞。

その高い芸術性と独自の風格とともに

ヤン・リーピン=孔雀のイメージが

世間に印象付けられました。

その後も『月光』『二本の樹』などを創作。

1993年には中央テレビ局の春節特番に

『二本の樹』で出演し視聴者投票で1位を

獲得しています。

今でも春節特番に出演できるということは

一定の実力や影響力、国家の評価の証明ですが、

当時は今以上に一流の証でした。

 

ヤン・リーピン「シャングリラ」のため再び雲南へ

 

2001年、招聘されて民族の特色を生かした

歌と踊りのステージ『シャングリラ』(原題:

雲南映象)の構想を始めます。

2003年には中央歌舞団を辞めて雲南映象

歌舞団を創設。

ダンサー選びは舞踊学院で勉強したような

専門ダンサーではなく、自ら農村に赴いて

少数民族の中から構想を表現するに足る

若者60人を集めました。

 

公演までは歌舞団としての収入がない中で

大所帯のダンサーたちを養っていかなければ

ならないため、資金面ではかなり苦しく

家を売ったり、映画に出演したりも。

ダンサー、振付家、芸術監督をこなしつつ

資金調達までしなければならない。

まさに細腕繁盛記。

 

しかし、出来上がった『シャングリラ』は

民族のスピリッツを芸術の域まで昇華させた

すばらしい出来栄えに公演は連日満員。

中国はもちろん世界各地での公演を

果たし、世界が絶賛しました。

『シャングリラ』の後に創作した

『孔雀の恋』(雀之恋)。

洗練されていながら野生の躍動も感じさせる

すばらしい舞台。

 

孤高のダンサー:ヤン・リーピン

 

こうしてツルッと書くと少年期の不幸や

資金面での苦労はあったものの、

地方から中央へ、中央から世界への

順調に認められるべくして認められた

ように感じられますね。

 

彼女の舞台を見れば、

「そりゃ誰だって認めるだろう」

と思うでしょう。

でも雲南歌舞団でも、民族歌舞団でも

彼女は特殊な存在でした。

ずば抜けた才能という点でもそうですが、

歌舞団のルールや方針からはみ出す

問題児でもありました。

 

歌舞団の踊りの基本は西洋のバレエです。

しかし、彼女のダンスが幼少期から言葉を

話すように自然に踊り始めたもの。

自然の中で動物や植物などを観察して

得た感動を自分の体を通して表現する

ようなもので、決まった型をいかに

美しく踊るかに興味はありません。

だから画一的に型を習うバレエの

レッスンが大嫌い。

いつもレッスンをサボっていました。

かといってレッスン自体が嫌いな怠け者

というわけではなく、夜中に稽古場に

忍び込んでロウソクの明かりの下で

ひとり何時間もレッスンするのです。

今の彼女の姿を見れは

「天才だもん、しょうがないよ」

と思えますが、組織にとっては問題児ですよね。

 

特に中央歌舞団に入ってからは地方の歌舞団

とは違って全国の精鋭の集まり。

ヤン・リーピンは他の誰にもまねできない

踊りを踊れるけれど、基礎訓練を積んで

いないために、一般的なダンサーとしての

評価はさほど高くないし、実際に開脚や

ジャンプでは周りのダンサーに及ばない。

 

なのにレッスンを嫌うとなると教師や

管理側にとっては頭の痛い存在ですし

他のダンサーからは当然反感を買います。

ただでさえ競争社会の踊りの世界で、

ケンカを売っているようなものですから

自ずと孤立するでしょう。

 

この時期に創作を始めたのも、孤独の中で

自分にふさわしい踊り、自分にしか踊れない

踊りを求める自然な成り行きだったのかも

しれませんね。

周りの要求を受け入れられないなら、

自分の意見を通すだけの価値を示すしか

ありませんから。

 

何だかんだいって歌舞団側もそういう彼女を

追い出さなかったわけですから、人材として

の価値は評価されていたわけですが、

才能はもちろん、孤独の中でなお自身の

信念を追い続けた強い意志こそが、彼女の

成功を生んだのだと思います。

感服です。

先日はニュースでシルヴィ・ギエムの引退が

報道されていました。

来日のたびに見ていたわけではないですが、

稀代のダンサーが一線を退くとなると、

1つの時代が終わるような寂しさを感じます。

 

ダンサーをやめると言っているわけでは

ありませんが『シャングリラ』を最後とする

ことについて「後進に機会を譲る」という

理由を挙げているので、やはり自分がメイン

になるステージは減らしていく考えなの

でしょう。

何礼を考えれば現在57歳なので、ダンサーと

してはすでにかなり高齢ではありますからね。

 

二代目と目されるシャオツァイチーは

ダンス一筋とは限らないような発言も

していますし、映像の世界に興味を示して

いるようですが、ダンス以外の活動をする

ことはヤンリーピンも応援しているようです。

孔雀の舞ヤンリーピン独自のもの、シャオ

ツァイチーは彼女独自の芸術を追えばいい

というところでしょうか。

とにかく今回、なんとしても

チケットを取らねば!

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