秦の始皇帝はなぜ万里の長城を作ったのか?頂点を極めた統治者ゆえの懸念が理由か?

      2017/05/04

この記事の所要時間: 618

世界の七大奇跡の1つ万里の長城。

月から見えるという話もありますね。

実はこれは勘違いらしいですが、それを信じ

てしまうほど大規模な建造物であることは確

かです。

いったい何の目的でこれほど大規模な物を作

ったのか。

北方の異民族を防ぐためという説が一般的で

すが、本場、中国ではその裏に真の目的が

あるという説もあるようです。

 

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万里の長城は始皇帝が建造した?


万里の長城と言えば、誰もが秦の始皇帝を思

い浮かべると言ってもいいほど、その建造は

始皇帝の偉業として知られています。

しかし、実際には秦の始皇帝一代で完成され

たものではなく、現存している大部分は明代

に作られた物。

そして長城の建造が始まったのは秦以前の周

代、さらに春秋戦国時代になると列国の覇権

争いと共に長城の修築も盛んになり、各国が

自国の領土内で修築に力を入れていました。

始皇帝の代には国家の統一に伴って、これら

切れ切れの長城の連結や修築、さらに新たな

長城の増築に力を入れ、100万近い労働力を

つぎ込みました。

これは当時の人口の20分の1にあたる数だ

ったといいますから、いかに大事業であった

かがしのばれます。

 

万里の長城は北方の遊牧民族の侵略を防ぐため?

 

一般には長城建設の目的は北方異民族の侵入

を防ぐためと言われています。

私も高校の時、世界史でそう習いました。

 

しかし、秦代以前、異民族との小競り合いは

あったものの、侵略で手ひどい目に遭ったこ

とはなく秦にとって異民族がそれほどの脅威

ではなかったのではないかと異論を唱える声

もあるようです。

当時、名馬を揃え訓練された騎馬隊と戦車部

隊を持つ秦は、当時の中原で最強の軍事力を

誇っていた。

だから異民族をそこまで恐れる必要はなかっ

たのではないかという主張。

強烈な個性を持つ始皇帝・嬴政らしくない。

転ばぬ先の杖のような慎重派だったとは思え

ないというのも理由の一つです。

 

もちろん異民族の侵入防止が目的の一つであ

ったことは間違いありませんが、これだけで

はないのではないか。

より大きな目的があったのではないかという

見方をする人もたくさんいるようです。

 

「預言を信じた」説

始皇帝は法治によって国家を管理した現実的

な視点を持つ統治者でしたが、その一方で不

老不死に憧れるスピリチュアル好きでもあり

ました。

不老不死の丹薬を探させるため、徐福を日本

に派遣した話は有名ですね。

結局、徐福は秦に戻らず日本で生涯を終えた

という伝説もあります。

始皇帝は徐福だけでなく、他の方子にも丹薬

を探させていたと言います。

その中の1人、盧生という方士が船出から戻

って始皇帝に「秦を滅ぼす者は胡なり」とい

う預言を告げたそうです。

 

「胡」というのは胡麻や胡弓、胡椒など北西

の地から伝えられた物にその文字が残るよう

北方・西方の異民族、未開の地を指します。

スピリチュアル好きな始皇帝は、自分の代に

はまず問題ないだろうが、子孫の代になると

国力も弱まって、異民族の攻撃に対抗しきれ

なくなるのかもしれないと不安に思った。

そこで国を挙げた大事業として長城の建造

修築に取り組んだという説です。

異民族の侵入の備えであることは間違いない

ですが、現実の情勢から見た判断ではなく、

預言を信じたためというわけです。

しかし、国民にとっては国家が統一されて

やっと戦乱の世が終わったと思ったと思った

ら、また命がけの土木工事にかり出される日

々が始まって、不満はつのる一方。

これが秦の滅亡を加速した部分もあるでしょう。

 

歴史的には秦朝は陳勝呉広の乱で混乱に陥り

劉邦が咸陽を落として滅亡しています。

では「秦を滅ぼす者は胡なり」は迷信だった

のか?

 

始皇帝の死後、太子・扶蘇の弟・胡亥が兄を

殺し二世皇帝の座に就きました。

これをたきつけたのは宦官の趙高で、趙高は

暗愚な胡亥を傀儡として実権を握り、暴政を

行いました。

その結果、民衆の中にたまっていた不満が爆

発し、史上初の農民反乱が起こり、次第に深

刻化して結局滅びたわけです。

「秦を滅ぼす」原因を作ったのは異民族では

なく、自分の息子の胡亥だった。

 

始皇帝が本当に預言を信じて長城建設に力を

入れたとしたら、何とも皮肉な話ですね。

 

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「墓を建設した」説

 古代中国の帝王は死後の世界も非常に重視し

ていました。

そのため、大規模な陵を建設し、豪華で大量

の副葬品や殉死者を陵に伴ったわけですが、

これらを荒らされないための工夫にも心血を

そそいでいました。

現在、始皇帝陵として知られているのは兵馬

俑坑がある陝西省西安市北東の驪山ですが、

大量の兵馬俑が見つかったものの始皇帝

の葬られた棺などは、まだ発掘されてい

ません。

 

驪山の始皇帝陵は偽の陵墓だという説があり

ます。

「ザ・陵墓」という物をこしらえることで盗

掘家たちの注目をそこに集めておいて、実際

の墓は別の場所に設けた、それが長城だと。

地中に陵墓を設け、その上に重要な建築物を

建てれば見つかることもなく、そこに何かを

作るために掘り起こされることもない。

つまり長城のどこかの地中に始皇帝が眠って

いるのという説です。


 

どちらの説もなかなか面白いですね。

しかし、陵墓説はちょっとない気がします。

自分の墓の上に墓としてではない建造物が乗

っかってるなんて嫌じゃないですか?

下に墓があると分からなきゃ、立ちションと

かされちゃうかもしれないし…。

孟姜女の伝説のように建設で命を落とした苦

役が長城の下に埋められているという話もあ

りますが、さすがに皇帝が長城の下はないの

ではないでしょうか。

 

預言を信じた説は、ないとは言えないですね。

洋の東西を問わず、現代でも政治家やお偉い

人ほど御用達の占い師がいたりしますから。

人は頂点に立つほど、失う物が大きくなるほ

ど不安も大きくなるのかもしれません。

信憑性は別として、単なる国家的防衛政策と

いう味気ない説の裏に統治者の人間の弱さが

見えたりすると、ちょっと興味深いです。

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 - 中国ニュース, なるほど