ブルース・リーの一番弟子にして親友!ターキー木村(木村武之)と李小龍の交流~練習風景動画やインタビューも

      2017/04/24

この記事の所要時間: 1053

ブルース・リーの弟子と言えばダン・イノサ

ントが有名ですが、日本人の血を引く直弟子

にして親友でもあった人がいました。

ターキー木村(木村武之)氏がそうです。

ブルース・リーが創設した振藩国術館を任され

彼の死後も守り続けてきたターキー木村について

動画やインタビューなどを集めてみました。

 

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ブルース・リーの弟子:ターキー木村(木村武之)

氏名:木村武之(TAKY KIMURA)

生年:1924年

職業:武術コーチ

 

第二次世界対戦当時、日系二世であるために

5年間収容所にいた経験もある木村武之こと

とターキー木村。

ブルース・リーがアメリカで初めて弟子に取

ったジェシー・グローバーが引き合わせたこ

とで弟子となり、後にはブルースが最も信頼

し、かつ尊敬する弟子となりました。

 

ブルース・リーが初めて開いた武術館である

振藩国術館(ジュンファン・グンフー・インス

ティチュート)を彼がシアトルを離れた後もず

っと守ってきた方です。

ブルース・リーが生前発行したシニアコーチの

証書保有者の中で高級である5級の持ち主。

自分が開いた武術館を任せたことからも、タ

―キー木村に対する信頼が厚いことは伺えま

すが、実際にダン・イノサントら他の弟子た

ちにも「自分の武術がどれほどすごくても、

木村は常に自分の上にいる。尊敬すべき人物

だ」と語っていたといいます。

 

ブルース・リーとターキー木村の出会い

ターキー・木村がブルース・リーと出会った

のは木村35歳、ブルース19歳の時、1959

年のことでした。

この年から柔道を始めていたターキー木村は

数回、人に投げ飛ばされて、すっかりやる気

を失い、武術類にはもう手は出すまいと思っ

てました。

しかし、強い中国人がいると聞き、大学構内

のサッカー場に稽古の様子を見に行ったとこ

ろ、そのスゴさを実感し、仲間になりたいと

思ったとのこと。

 

当時、小さなスーパーマーケットを経営して

いたターキー木村は店舗の裏の空き地を仮設

道場として提供し、香港から運んだ木人樁を

設置。

おかげでブルース・リーも公園や駐車場で稽

古する必要がなくなりました。

ブルース・リーが初めて出版した武術書『基

本中国拳法』に挿入された図のうち、壁のな

いものは皆、この仮設道場で撮影された物だ

そうです。

レッスン料を取って武術を教えることを勧め

たのもターキー木村だと言います。

真剣にブルース・リーの武術を学んだ一番弟

子というだけでなく、武術家・アクションス

ターとしてのブルースの発展にも寄与した人

と言ってもいいでしょう。

ターキー木村が若き天才から、その武術と哲

学を学んだのはもちろんですが、年長者の彼

からブルース・リー自身も多くの啓示を受け

たことも多いようです。

 

ターキー木村の現在は?

ブルース・リーの死後、自慢の弟子であるこ

とをことさらに主張することもなく、黙々と

国術館を守ってきたターキー木村も現在は、

93歳の高齢です。

アルツハイマーの症状が出始めてからは、息

子のアンディさんや娘のモニカさんの勧めで

仕事を辞めて、今は家族の世話を受けながら

ブルース・リーに関することだけ、している

とのこと。

週に一度程度、彼のお墓を掃除することも、

ターキー木村にとっては大切な仕事。

近年は糖尿病や心臓病なども併発し、高額の

治療費に家族も苦しんでいる様子です。

ここ数年、ブルース・リーがターキー木村に

贈った物や手紙が、たびたびオークションに

出ていましたが、そういう事情があってのこ

となのかもし

れません。

 

ブルース・リーとターキー木村の稽古風景

 

ターキー木村インタビュー

中国サイト百度に掲載されていたターキー木

村のインタビューです。

年代が書かれていなかったので、いつのもの

か分かりませんが、今でも稽古をしていると

言っている頃なので、かなり前のものだと思

われます。

 

ブルース・リーとの出会い

Q:どうやってブルース・リーと知り合ったのですか?

ターキー木村:1959年頃に柔道を始めましたが数回投げられてからは意気消沈して、武術のたぐいからは足を洗おうと思っていました。当時私はアメリカでスーパーマーケットを経営していて、お客の中にブルース・リーに武術を習っている者がいたんです。買い物に来ると、いつも「香港から来たスゴイ武術の腕を持つ若者がいる」と話していました。当時は、心の中で大したことは無いだろうと思っていました。私もいろいろな人間を見てきたので、強いと言っても、それほどのことはないだろうと。

しかし、彼らは「本当に信じられない奴なんだ」と言い続けるんです。当時、ブルースは住んでいる家の裏庭や公園で稽古をしていました。それで、日曜日に約束して見に行ったんです。どんなものか見てやろうと思って、大学構内のサッカー場に行きました。それが彼との初めての出会いです。

結果、彼の武術に心から感服させられました。そこで、すぐに彼らの武術会に参加させてもらったんです。それから約1年間、毎週日曜日に公園に集まっては、ジークンドーの稽古をしました。私はもう青春が過ぎ去った年だったので、若者たちには付いていけませんでしたが、彼の武術と哲学を学ぶと決心していました。

数年するとブルース・リーも私が熱心なのに興味を示し、彼が持っているものすべてを教えてくれるようになりました。さらに1年が過ぎて、私は彼の助手になりました。この頃からは親友も同然となり、どんなことでも彼の力になってきました。

 

Q:年を取ってからジークンドーを始めたんですね。今でも武術をやっていますか?

ターキー木村:友人たちの定期的に稽古しています。

ジークンドーを公に教えることはできません。契約を結んでからは、武術会はあくまで私個人の私的なグループです。ブルース・リーが亡くなると、アメリカの各地から電話が来て、「弟子にしてくれ」と頼まれましたが、すべて断りました。数人の友人が集まって切磋琢磨するのはいいが、本当に武術を知る友人間に限るとブルースに言われましたから。

 

Q:ブルース・リーと一緒に演武をしたことは?

ターキー木村:ありますよ。

改めて依頼されたことはありませんが、彼は私をあちこちに連れて行きました。演武する際は私が相手役を務めます。

一緒に武術大会に出場したことも3回あります。広州市長堤での大会では会場を驚かせてチャンピオンになりました。これがハリウッドのプロデューサーの目に留まったんです。彼の武術が関心を引き、ドラマ『グリーンホーネット』の準主役に抜擢されました。ここからは順調にアクションスターへの道を歩み始めました。

 

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師匠ブルース・リーはどんな人?

Q:ブルース・リーはどんな個性の持ち主でしたか?

木村:非常にパワーに満ちていて、ひと目で相手を引きつける力を持っていました。飛び抜けた人物ですね。鋭い判断力を持っていました。

私は彼ととても親しかったので、言葉においても行動においても、非常に信頼し合っていました。彼の預言が本当になることは、よくありましたよ。

私よりうんと年下でしたが一緒にいる時は、とても大きな人物だと感じていました。

 

Q:彼の英語はどうでしたか?

木村:素晴らしいです。初めて会ったときから、彼の英語はネイティブのようでした。

 

Q:誰が彼の助手を務めていましたか?

木村:私です。後にダン・イノサントがロサンゼルスでの助手となりました。ブルース・リーは周到に考える人で、どんなことも熟慮を経て行動に移すから、うまくいくんです。

 

Q:現在、アメリカで武術が盛んなのはブルース・リーの影響だと言えるでしょうか?

木村:そう言っていいと思います。彼の貢献は誰よりも大きいです。彼は誇張しすぎた不要な要素を武術から排除しました。彼が各地に武術を普及させたのです。

リンダが言うように彼のスピードは稲妻のようでした。彼は馬歩や形にこだわりません。立った位置から後退することなく拳を打ち出して攻撃することもでき、それは本当に稲妻が走るようでした。

だから撮影の時に彼が本気を出したら、カメラが彼の動作を捕らえきれないでしょう。それで主演映画の中での彼のスタイルは、わざとそれらしい形を加えた演技のための動作であり、本当の彼の武術ではありません。

 

Q:ブルース・リーの驚くようなエピソードは他にもありますか?

木村:私が彼の助手となってからは、会う機会が非常に減りました。

ある時、一緒にアメリカの大学の懇親会に参加すると、大学のアメフトチームの学生たちがたくさんいました。ブルースは一番背が高くて体格がいいメンバーを選び、椅子の両脚で彼の背中を支えると拳を打ち出し、男の腹の1インチ手前で寸止めにしました。拳が出たとたんに、男は椅子もろとも何回も転がって、壁にぶつかってやっと留まりました。100パーセントの力を出していたわけではありません。もし、そうだったら男は悲惨なことになっていたでしょう。これは彼の得意技で、スゴイ威力を持っていました。

スターになったブルース・リーとの交流は?

Q:彼が有名になって忙しくなってからも、連絡を取っていましたか?

木村:彼が映画界に進出してからは、ほとんどシアトルを離れていましたが、リンダの母親がここに住んでいたので、年に2回ほどは来ていましたよ。来る時は時間があれば会っていました。

でも、年月が経つごとに交流は少なくなっていましたね。しかし、彼を忘れることは永遠にできません。友達ですから。

ある晩、香港に行く前に電話をくれたことがあります。電話の中で私が彼に連絡しないことを、ひどく責めていました。私が「ブルース、今の君には私は必要ないだろう。順調にやってる君にとって私が何の役に立つんだ?」というと、彼は怒って「いいか、お前は俺の一番の友人だ。永遠に忘れるな!必要なものがあれば、いつでも言ってくれ。必ず俺が都合する。俺は過去とまったく同じだ。何も変わってはいない」と言っていました。彼は14年前に知り合った頃のままの、苦楽を共にした私の友人だったんです。

 

Q:ブルース・リーの私生活に関して何か知っていますか?

木村:最後に大事なことを言っておきましょう。

リンダがブルース・リーにとって、どれほど重要な存在だったかということを多くの人は知りません。ブルース・リーの成功は精神面でリンダが彼を支えていたことの成果だ。これは本当です。ブルースは彼女を本当に愛していた。

よく、こう言うでしょう? 「成功した男の背後には、女がいる」と。

【百度:木村武之より】

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一番最初にブルース・リーの映画を見た時は

「すごい!」と思いながらも、どこか冗談み

たいなバカバカしさを感じたものですが、そ

れは、やはり見世物としての演出が加えられ

ているからなんですね。

見ているうちに形として慣れてしまうんです

が、今でも「怪鳥音」だけはいただけない

なと思います。

まあ、そんな点を差し引いても惚れちまう

んですけどね。

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