汝窯の青磁・天青色の名前の誕生由来!日本で収蔵する美術館・博物館や値段は?

      2017/04/24

この記事の所要時間: 853

中国宋代は絵画や磁器、茶文化などに代表さ

れる豊かな文化が栄えた時代。

宋代の五大名窯を代表する汝窯で焼かれる磁

器は名品として知られていますが、中でも、

「天青色」と呼ばれる釉薬の青磁は皇帝に愛

された品ですが北宋の滅亡とともに姿を消し、

今では再現が不可能な幻の青磁になっています。

今日はそんな天青色の青磁について調べてみ

ました。

 

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天青色とは?

文字どおり天のような青を言います。

英語なら「スカイブルー」日本語は「空色」

どれも空の色を名付けた青ですが、天青色

はどんな色を言うのでしょう。

ちなみに辞書で「空色」を引くと「晴れた

空のような青色」とありました。

秋の晴天のイメージでしょうか。

通常青磁というと、淡く微妙な色彩で若干

緑や灰色を帯びていたりもする印象を受け

ますが天青色は、確かに空の色といってい

い青色。

磁器においてはマットな青ではなく、光や

角度によって釉から受ける印象には微妙な

変化が生じます

 

汝窯で焼かれた青磁の釉の名前であり、汝窯

の青磁には他にも卵白、粉青、豆青、月白、

葱緑などと呼ばれる名品がありますが、中で

も天青色は最上級に位置づけられています。

名品である上に世界に90点ほどしか存在し

ないため、さらに貴重な逸品中の逸品といえ

るでしょう。

 

天青色の名前の由来は?

「天青色」の由来は、中国の皇帝が

「雨過天青雲破處,這般顏色作將來」

と言った言葉から来ています。

 

現在、天青色といえば宋代汝窯で焼かれた青

磁の名品を指します。

天青色にはこんなエピソードがあります。

ディレッタントで知られた北宋の皇帝・徽宗

帝が夢の中で、雨の後の晴れた空を見て、

その色があまりに美しかったので、

「雨過天青雲破處(雨後に雲の切れ目から

のぞく、そんな色の磁器を作れ」

と陶工たちに命じた。

宋代五大窯の中でもトップクラスの汝窯が、

ついにこれを実現し、その青磁の色を「雨

過天青雲破處」からとって「天青色」と呼

ぶようになったという説。

 

しかし、実際には「雨過天青雲破處」という

言葉は徽宗以前から存在しました。

 

五代の後周の皇帝、世宗・柴栄。

柴栄は顕徳元年(954年)に河南の鄭州(一

説によると開封)に御用窯を開き、これは宋

代初期には柴窯と呼ばれていました。

柴栄が御用窯を開く際に、「雨後の晴天のよ

うに、国運も盛んになるように」という思い

で「雨過天青雲破處,這般顏色作將來」と命

じた。

 

このように青磁を焼くために開かれた柴窯で

すが、文献には見られるものの、その窯跡や

そこで焼かれた磁器は見つかっていないとい

われています。

そのため五大窯には入っていません。

文献によると、ここで焼かれる磁器は非常に

名品であり、破片でさえも見つかれば珍重さ

れて、服や帽子の飾りに使われたというよう

な記載もあります。

『長物志』は柴窯の磁器のことを「天の如く

青く、鏡の如く明らか、紙の如く薄く、声は

磬の如し」と褒め称えています。

「磬」は古代、儀礼などの際に使われた楽器

で、叩いた時の音も澄んでいた――硬質であ

るということですね。

つまり、ここでも天青色の青磁の名品が作ら

ていた可能性も大きいのです。

この窯跡もいつか見つかるかもしれませんね。

 

徽宗帝の夢のくだりは後付けのように思われ

ますが、徽宗が汝窯を御用窯として青磁を焼

かせたのは事実で、文献には「本朝以定州白

磁有芒不堪用、遂命汝州造青窯器」という文

章があります。

定州の白磁が宮中に収められていたが、それ

がよろしくないということで、汝窯に青磁を

焼けと命じたことが分かります。

 

「有芒」は「芒がある」、「芒」は「芒口(焼

成後に胎土が露出する欠陥)」を言ったものと

一般には考えられていますが、「芒」を「光芒」

と考え、道教信仰に執心していた徽宗にとっ

て、まばゆいような輝きをもつ定窯の白磁は

華美すぎ、幽玄な青磁の青をより好んだと考

える向きもあります。

道教において最も高貴な色は紫ですが、青も

ひじょうに重視されている色です。

 

実際に天青色を生んだのが、国家君主の大志

なのか、ディレッタントの飽くなき欲望なの

かは分かりませんが、国家権力のプレッシャ

ーが生んだという見方もできるかもしれません。

 

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汝窯(じょうよう)は宋代五大窯の長

 現在の河南省宝豊県大英鎮清凉寺村に存在し

た窯で、産地・汝州の名をとって汝窯と呼ば

れました。

汝州では清涼寺だけでなく、張公巷と文廟で

も窯跡が発見されていますが、御用窯だった

のは清涼寺のみで、他では民間の日用品など

が焼かれていたと考えられています。

 

宋代には“汝、官、哥、鈞、定”が五大名窯

とされましたが、汝窯はその中でも最高品質

を誇ったとされています。

窯自体は五代の頃から存在し、民間用の印花

青磁を焼く窯だったのですが、北宋晚期、哲

宗の頃に清涼寺の窯が宮廷に収める磁器を専

門に焼く官窯に指定されます。

 

汝官窯で宮廷用の磁器が焼かれたのは哲宗

の元佑元年から徽宗の祟寧5年までと約20

年の間のみ。

 

開封を都とする北宋の第8代皇帝徽宗は自ら

も画人・文人であり、痩金体という書体を創

出したり、院体画という写実的で精密な画風

を確立したりと、中国芸術文化の発展に大き

く寄与した人物ではありましたが、政治に関

しては能力もやる気もない人だったようです。

芸術しか頭になかったので、やがて北方の金

に攻められ、徽宗は息子の欽宗や后と共に人

質として金に連行され。

この「靖康の変」によって北宋は滅び、汝窯

も終わりを迎えました。

 

中国では復元に成功している?

その後、南宋や元・明・清代から元代まで汝

窯の技術の復元が試みられてきました。

近代に至って1952年、周恩来首相が汝窯の技

術復元を提唱し、実験と研究を重ねた結果、

1958年に豆緑釉薬、1983年には天藍釉で宋代

汝窯のレベルを超える焼成の技術を確立した

と発表していますが、天青色に関してはまだ

再現されていないようです。

 

天青色の青磁はどこで見られる?

世界に90点ほどしかないという貴重な天青

色の青磁ですが、日本にも3点あります。

東京国立博物館「青磁盤」

東洋陶磁美術館収蔵「青磁水仙盆」

もう1点は盞(さん)と呼ばれる茶碗で個人

で所蔵されているようですので、見られる可

能性が高いのは上記の2点です。

「青磁盤」は元々川端康成が所蔵していた物

だそうで。何となく美女を愛でるように愛で

ていたんだろうなと想像できます。

 

汝窯天青色青磁の価格はいくら?

北宋汝窯天青釉葵花洗

さて買おうと思っても、めったに市場に出て

くる品ではありませんし、出てきたとしても

恐らく途方もない値段だとは思われますが、

俗人としては気になるのがお値段。

もちろん、汝窯の天青色青磁といっても個体

差があるので一概には言えませんが、一例と

して、2012年、香港で開催されたオークショ

ンでは「北宋汝窯天青釉葵花洗」が2億786

香港ドル(約23億円)で落札されています。

これは予想落札価格の3倍を超える値段で、

宋代磁器の落札価格の記録を更新しました。

 

4000万香港ドルから始まって、8人が15分

間競り合い、1億4000万香港ドルで決まる

かと思われた時、電話での入札者が現れ、会

場の1人と電話入札者の1対1の競り合いと

なって、最終的にこの価格にまで競り上がり

ました。

これを出品したのは日本の個人収蔵家だった

といいますから、ちょっと残念な気も。

 

現存が確認されているのは90点にも満たない

しかし、まだ世に眠っている可能性もある。

そう考えると夢がありますね。

【宋代を知るオススメ参考図書】

東京夢華録―宋代の都市と生活 (東洋文庫)
「清明上河図」と徽宗の時代 そして輝きの残照

青磁の青は玉や翡翠の美しさにも似て、宝石

のように華やかではないけれど奥ゆかしく、

光や角度によって微妙に変わる色合いの深み

は、中国人にとっては君子の徳や精神性を感

じる美であるのかもしれません。

 

徽宗は皇帝としてはダメダメだったわけですが

芸術文化の発展から見れば大きな貢献があった

わけで。

『岳飛伝』なんかを読んでいると、当時の庶民

や国士は彼が唐変木だったゆえに苦しんだわけ

ですが、後世の人間から見るとなかなか興味深

かったりしますし、悪性ゆえに『水滸伝』のよ

うな名作も生まれた。

人の価値とは一概には申せませんね。

政治はダメでも青磁は逸品!

…………なんてね。

宋代の名画として名高い清明上河図なんかも

非常に興味深いです。

あれを見ながら、『東京夢花録』なんかを読

むと、そりゃもう宋代を旅する気分。

青磁に限らず、興味が尽きない宋代です。

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