ラン・ランの父親ラン・グォレン(朗国任)の教育方針!天才はいかに作られたか?

      2017/04/24

この記事の所要時間: 103

ラン・ラン(朗朗)と言えば若くして才能を

認められたピアニストとしてユンディ・リ

とよく比べられますが、演奏も本人の性格も

まったく違うタイプのパフォーマーなので、

どちらがいいかは、好みの問題でしょうか。

演奏を見て面白いのは断然ラン・ランだと

思います!

あの顔芸は必見。

ラン・ランのコンサートはコンサートホール

でも、アリーナやドームみたいにLEDの

ディスプレイにばばーんと大写しにしてもら

って、どの席からも彼の顔芸が存分に楽しめ

るようにして欲しいもんですね。

そんな耳でも目でも楽しませる愉快な天才

ピアニスト、ラン・ランはいかにして作られ

たのか。

彼がピアニストになるまでには両親の貢献

特に父親の教育方針があったのです。

今日は天才ピアニスト、ラン・ランを生んだ

パパのご紹介。

 

スポンサーリンク

ラン・ランの父、ラン・グオレン(朗国任)も音楽家

ラン・ランの父親、ラン・グオレン(朗国任)

さんは中国では「郎爸」(ランランのパパ)

と呼ばれる有名人。

息子のラン・ランが10代で大きなステージに

立つようになってから34歳になる今まで、

ステージやツアーには必ず付き添っています。

いわゆるステージパパですね。

 

ランパパも軍の音楽隊に所属する二胡の

演奏者でした。

ランパパの父、ラン・ランの祖父は師範学校

が音楽教師だったこともあり、ランパパも幼

い頃から音楽が大好きでした。

しかし、家庭が豊かではなかったためピアノ

など夢のまた夢。

幼い頃には比較的手に入りやすい笛を吹いて

いたこともあるそうです。

中国ではポピュラーな楽器二胡はピアノほど

高い楽器ではありませんが、当初は二胡さえ

買えず、自分で手作りした二胡で練習して

いました。

 

しかし、音楽への情熱は人一倍。

瀋陽音楽学院の窓の下に20日以上も毎日

隠れていて、演奏を聴いて独学したほど。

この時は彼に気づいた教師がその情熱に

感動して弟子として受け入れたという

逸話の持ち主です。

 

1891年、少し生活に余裕ができた頃には

借金をしてピアノを買い、毎日、模索しな

がら独学で弾いたそうです。

工場や雑伎団所属の二胡奏者として働いた後

努力と情熱が実って遼寧瀋陽空軍文工団に合

格します。

ここでは二胡奏者として演奏する以外に、作

曲や指揮・和声なども経験し、作曲した楽曲

が公演で演奏されたこともあるそうです。

 

天才ピアニストラン・ランはいかに作られたか?

 

生まれる前からピアニスト決定!

父は音楽家であり、家にはピアノがあった。

音楽がある家庭に生まれたことは自ずと

ラン・ランのピアニストとしての成長に影響

を与えたでしょう。

しかし環境だけでなく、ランパパはラン・ラ

ンが生まれる前に、すでにランママと

「子供はピアニストにしよう」

と決めていたそうです。

二胡の演奏家だったランパパですが、自身も

条件さえ許せばピアノを習いたかった。

また、ピアノのほうが世界でも聴衆も多く、

音楽家としての可能性を考えるならやはり

ピアノだと考えたようです。

 

ピアニスト計画への期待を裏切らず、生まれ

たラン・ランは2歳半の頃にはアニメ『トム

とジェリー』の中でトムが「ハンガリア狂詩

曲2番」を弾く場面に興味を示し、耳で聞いた

歌を楽譜なしで弾ける才能の持ち主でした。

 

『トムとジェリー』の「ハンガリア狂詩曲

2番」をはインパクトがある場面ですよね。

最初は音符1つの楽譜を前に「ポーン」と

弾く、それから楽譜をめくって「ポポーン」

と弾く、次のページには「ポポポポーン」

という具合に弾いているうちに、名曲を1曲

弾きこなしてしまうというようなシチュエー

ションだったと思います。

あれを見るとピアノが弾けそうな気がするん

ですよね。

私も大好きでした。

ここでラン・ラン演奏の「ハンガリア狂詩曲2番」

息子はピアノが大好きで、かつ才能もあると

確信したランパパは、3歳から瀋陽音楽院の

朱雅芬教授につけてピアノを習わせます。

ラン・ランは幼稚園に行かなかったので1日

8時間でも喜んで弾いていたとか。

やっぱ好きこそ物の上手なれ?

 

ラン・グォレン氏は厳しい父親で鬼夫?

さて3歳から教師についてピアノを始めると

ラン・ランは家での時間をほぼピアノに費や

していたようです。

その中でも朝6時から父親の出勤まで、夜、

父親が帰宅してからの3時間は義務的な練習

時間でした。

ランママの周英蘭さんがうっかり息子に話し

かけでもしようものなら、「ピアノに集中で

きない!」とランパパに怒鳴られました。

こうして瀋陽で6年余りピアノを学ばせた後、

ランパパは9歳のラン・ランをつれて北京に

出る決意をしました。

もちろんピアニストとしてよりより環境と

チャンスを手にするためです。

 

当初、北京行きのためにランパパは北京への

異動を期待していましたが、どうやら無理だ

ということで、仕事は辞める決心を。

そこで、ランママは2人の北京での暮らしを

支えるために、瀋陽に残って仕事を続けます。

ここからランママが夫と息子と離れ離れに暮

らす20年が始まりました。

ランママは残業をすることで休日に振り替え、

3か月ごとに北京へ。

日用品や差し入れをいっぱいに詰めた箱を持

って北京での住居に着くとすぐに掃除洗濯、

部屋の掃除など2人の生活面も支えました。

その間もピアノの稽古に余念のないラン・ラ

ンとはゆっくり過ごすこともできません。

ランパパは、まだ少年のラン・ランが母親の

愛情に甘えて、ピアノをおろそかにすること

を避けるために、あえて妻を会いに来させな

いこともあったそうです。

 

そしてランママは瀋陽に帰れば、北京に行く

休日を確保するために残業し、収入を増やす

ために率先して用事がある同僚の当直を変わ

る日々。

節約生活のため栄養失調が原因の低血糖や、

胃潰瘍にもなりました。

天才が作られた背景にはこんな犠牲があった

のです。

「親子と夫婦が離れ離れの生活を、いつまで

続ければいいの?」

とランママがパパに訴えたこともあるものの

ランパパは、

「成功を勝ち取るためには犠牲が必要だ。

他にどうしようもないじゃないか」

と言ったとか。

あんた鬼や!

 

10年後、ラン・ランがピアニストとして名を

成し、フィラデルフィアに家を買ったことで、

一家が再び1つになれたものの、ラン・ラン

は各国からのオファーで世界を飛び回り、夫

もそれに付きそうため、結局ママは家に1人。

慣れない海外生活の孤独もあって半年後に、

ランママは帰国します。

その後、ランパパの体調不良時にはパパに代

わってママがステージに付き添っていた時期

もあったようです。

その時はさぞうれしかったことでしょう。

今となっては世界のラン・ランの母ですから

それは誇らしいでしょうけど、天才の母にな

るまでは楽な道のりではなかったのであります。

 

誰にでもまねできるやり方でじゃないですね。

瀋陽ではすでに幼いながらもラン・ランの

ピアニストとしての名は知られていたよう

なので音楽家としての息子の才能を見抜き、

また信じていたゆえの行動でしょう。

北京で学んでからは国際的なコンクールに

借金をして参加し優秀な成績を修め、その

賞金で帰国後はすぐに借金も返せたという

話ですが…ランパパ、かなり勝負師です。

 

スポンサーリンク


ラン・グォレン氏の軍隊式教育方針

自身が音楽家であるため、ラン・ランの教師

としても役割も果たしたランパパ。

ラン・レングオ氏のラン・ランに対する教育

方針は、中国ではいわゆる軍隊式で有名。

しかし、徹頭徹尾軍隊式というわけではない

ようです。

基本レッスンの55分間は基本的に軍隊調。

どれだけ早く弾けるかを厳しく要求すること

で、時間はあっという間に過ぎ、単調で味気

ないレッスンもだれることがないのだそう。

ここでは口調や態度も厳しく、レッスンの緊

張感を維持します。

しかし、曲のレッスンではそれぞれの曲の持

つニュアンスを大切にし、美しく甘美な曲を

しかめ面で指導するということはなかったと

いいます。

こういう場合には、ラン・ランと共に音楽の

美を享受しつつ、その美を追求するよう導く

のがラン・グォレン氏のやり方。

 

しかし、幼い頃から母親と離れて暮らし、ピ

アノ100%の毎日を送ってきたラン・ランに

「つらい少年期だったのでは?」という思い

を抱く人は多いはず。

でも、ラン・ランはこの疑問に対し、

「花束と喝采の中で少年期を過ごした」

と回答しています。

 

厳しい中にも緩急のあるランパパの教育方針

は結果としてラン・ランに幸せな少年期の

印象を残したようです。

 

ピアノを何より愛し、世界に名だたるピアニ

ストになることを望んでいたラン・ランにと

っては最高のパパだったといえるでしょう。

「好きであることと才能が肝心」

とランパパは言っています。

好きならば多少厳しくても続けられるし、才

能があれば、厳しいレッスンもいつか報われ

るといったところでしょうか。

私のような凡人は何事も「下手の横好き」で

終わるしかないのが寂しいところですな。

奇跡のピアニスト郎朗(ラン・ラン)自伝―一歩ずつ進めば夢はかなう

今でもコンサートには必ず同伴するランパパ。

ラン・ランが30歳の頃のインタビューでは

「ラン・ランは、今はあまりにも忙しい。

結婚相手は35歳になったら考えればいい」

と言っていましたが、今年は35歳です。

2014年頃にはラン・ランと彼の両親と一緒に

親しげに歩く女性の姿が報道されましたが、

さて、どうなのでしょう。

パパのお眼鏡にかなわないと結婚も難しそう

ですね。

今年は大河ドラマ「おんな城主 直虎」のテー

マ曲を演奏しているラン・ラン。

日本での注目度も上がりそうですね。

ユンディ・リの演奏ミスにラン・ランがコメント!不仲説は本当か?

ユンディ・リに結婚歴あり?離婚や同性愛のウワサ~現在の彼女は?

ユンディ・リがショパンコンクール審査員欠席のとんでもない理由は?

 - 音楽, エンタメニュース, 華流