エンブレム使用中止会見:「盗用ではないが止むを得ず」だと?

      2016/03/10

この記事の所要時間: 634

佐野研二郎氏作の五輪エンブレム

使用中止に関して会見が行われました。

会見には佐野氏本人は出席せず、出席者は

組織委員会の武藤敏郎事務総長のみ。

 

佐野氏はイメージ画像の転用は認めたものの、

エンブレムのデザイン自体は

あくまでオリジナル

という姿勢のようです。

 

しかし、状況に鑑みて使用中止を

余儀なくされた

そういう説明だと受け取りました。

 

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イメージ画像の盗用は業界では常識

 

武藤氏の説明によると

 

佐野氏のエンブレム案自体は

世界の商標なども調査した上で

ベルギーの件は問題ない。

両者は似ている所もあるが

似ていない所もたくさんある。

あくまでオリジナルと判断した。

 

8月29日:

使用展開例として提出された

イメージ画像の転用が指摘される。

 

8月30日:

ヤン・チョヒルト氏の作品に

酷似していると指摘される。

 

8月31日:

上記を受けて組織委員会では本人に

話を聞く必要があると判断。

 

9月1日午前:

審査員も一緒に対話の場を持った。

(実際には審査員で参加したのは

審査委員長の永井一正氏のみ)

 

この場で佐野氏から転用を認める発言があり

デザイン案の提案取り下げの申し出があった。

 

佐野氏の見解

 

イメージ画像は内部資料として提出。

内部資料でオリジナルではない素材を

作品ではないイメージ画像に使用するのは

デザイン業界では一般的なこと。

 

ただ、公式の発表に使用する場合には

オリジナルの製作者の許可が必要。

(内部資料のつもりだったので)

今回その点を怠ったのは自分の不注意。

 

ヤン・チョハルト氏の展覧会は

確かに見に行ったが、どんなバナーだったか

まったく記憶にない

エンブレム案は自分が独自に作った作品。

 

Tのフォントに丸というでサインは、

一見、同じモチーフに見えるが、

チョハルト氏の作品は

「T」のフォントにドットであり、

自分の作品の丸は、日の丸や鼓動などを

イメージしたもの。

模倣ではない。

 

取り下げは盗用したからではなく

騒ぎが大きくなり自分も家族も

誹謗中傷を受けていること。

 

自分は五輪のデザインをするのが夢だったが

現状では五輪のイメージに悪影響を与える。

それは自分の本意ではないので

提案を取り下げたい。

 

長井氏の見解

 

デザイン業界の者の目から見れば

今も佐野氏のデザインは、まったくの

オリジナル作品で問題ないと判断する。

 

しかし一般市民には

理解できないのではないか。

 

理由はともあれ三者一致で使用中止に

 

組織委員会は作品が盗用かどうかを

判断する立場にはないので

この件に関しては専門家である

永井氏らの判断に任せた。

 

委員会としても永井氏同様

「盗用ではない」と考えているが

同時に一般人を納得させるのは

難しいとも判断している。

 

他の審査員には電話で意見を聞いた。

「オリジナルなんだから

使用中止する必要はない!」

という1名を除き、他は

「取り下げもやむなし」

「永井氏の判断に一任」

という意見だったので、

「使用を中止する」方向で

三者の意見が一致した。

 

 

イメージ画像に転用した素材の作者とは

佐野氏が相手の希望などを聞く

対応を進めている。

 

てなことを言っておられました。

 

使用中止を聞いたオリビエ・ドビ氏の意見

 

まだ金曜日には使用すると言っていたので

急な展開で驚いています。

 

でも、早く解決してよかった。

こちらも弁護士と話し合い訴訟を

取り下げます。

 

 

一般人が悪いのか?

 

会見を見た分では、ひじょーに

スッキリしない印象を受けました。

 

「内部資料として提出したのに

公開されちゃった。

もちろん不注意だったと思うけど

公にするつもりなかったんだもん。

公になった不注意は認めるけど、

こんなの業界では常識

 

「本当は中止する必要なんかないんだよ。

だってオリジナルなんだからね。

プロが見れば分かるんだよ。

まぎれもなくオリジナルだって。

 

なのにパンピーがうるさいんだよな。

あらぬ誹謗中傷を受けて

このままじゃ身が持たないよ。

大衆の暴力に屈する形になるけど

使用中止するしかないだろ?」

 

私があまのじゃくなのか?

こう言っているように聞こえましたね。

 

「パクリをしたことはない」

と言い切っていたけれどその辺は

「公表する作品ではね」

という注釈つきだったのでしょうか?

 

「ゼロから作った作品」

という言葉にはすでに

何の信憑性も感じられませんな。

一般人としてはね。

 

まあ、いい。

神様は見てるよ。

「天網恢恢疎にして漏らさず」

って言うからねーだ。

 

しかし、

「似ている所もあれば、

似ていない所もたくさんある」

って言葉にはちょっと笑っちゃいました。

そういう問題?

 

また、今回の事件の中で

「似ているようでもコンセプトは違う」とか

「ただのドットではなくて、日の丸や鼓動

(精神性)を表現している」

というような表現が多く見られましたが、

それを言い出すと、極論ではありますが

結果として形は同じでも、コンセプトや

作者の意図するイメージが違えばオケー!

ってこと?

 

デザイン盗用の白黒を問う際に

そういう内面的事情は

どこまで考慮すべきなのでしょう。

 

しょせんは人が判断することです。

個々の案件によって事情は違うし

判断基準があるわけでもない。

まことに難しい問題ではありますな。

 

第三者が判断できるのは見える部分のみ。

それぞれ意見はあるけれど最終的には

それこそクリエイターとしての

精神性や良心にゆだねるしかないのか。

 

結局、エンブレム案は再度

公募することになったわけです。

さすがに今度はクオリティ以上に

パクリには目を光らせるでしょうが、

選出側の構造には何ら変化はないんでしょうな。

 

 - 社会ニュース