曜変天目茶碗が中国から消えた理由は?現在の値段や価値は?

      2016/12/20

曜変天目茶碗
この記事の所要時間: 658

天目茶碗の最高峰と言われる曜変天目茶碗

(ようへんてんもくちゃわん)。

素人の目から見ても美しく、原産国の中国で

製法が絶えてしまったのは、とても残念な

ことでしたが近年日本の陶工によって

その製法が復元されたことは喜ばしいですね。

 

南宋の時代に中国で作られた曜変天目ですが

現存するのは日本にある3客のみ。

ほんの一時期で姿を消し、製法さえも残って

いない。

しかも、原産国の中国に実物が全く残って

いないというのはかなりのミステリーです。

2009年には割れた茶碗が1つだけ発見され

たようですが、なぜ曜変天目は中国から姿を

消したのか。

情報を集めて私なりに想像してみました。

 

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曜変天目茶碗とは?

 

中国南宋の時代に作られた黒釉の茶碗。

当時の建寧府建安県(今の福建省建安水

吉窯/建窯)で焼かれたもの。

「曜変天目」は日本でつけられた呼称で

黒い釉薬の上に「星」と呼ばれる結晶体が

まさに宇宙にさざめく星のように見え、

また光の角度によって玉虫のような虹色を

描き出すことから「曜変」の名が付きました。

「曜」は星の瞬きや輝きという意味です。

 

曜変天目は闘茶のための茶碗だった

 

政治はダメダメで金に攻められて都を次々と

遷都しながらの苦しい国家運営でありながら

文化には金をかけ、高度な芸術が花開いた

宋代。

曜変天目茶碗は当時盛んだった闘茶の際に

使われたと見られています。

 

闘茶の文化は日本にも伝わり、聞き茶のような

形で発展しましたが、宋代の闘茶は味や香り、

水色を競ったり、茶の水色や味、香りの優劣を

競ったり白茶と呼ばれる茶をたてて、水色の

白さを競うなど独自の優劣の基準がありました。

この白茶は現代中国の水色の薄い半発酵茶では

なく、一種の粉茶で水が濁ることを「白」と

称していたと思われます。

宋代には粉茶(日本の抹茶とはまた別)が文人に

好まれ、その水色や茶碗につく茶の水跡をよく

見るために黒い茶碗を使ったようです。

 

闘茶自体は広く普及した文化ですが

茶碗自体が現存していない現状から

すると、曜変天目茶碗は闘茶のために

作られたとしても、実際に広く民間で

使われていたわけではないように思われます。

 

闘茶の衰退とともに廃れた?

 兔毫笺_とごうさん【兎毫箋(とごうさん)】

文人文化が栄えた宋代に流行した闘茶ですが

蒙古族が支配する元代には廃れてしまいます。

また粉茶ではなく発酵茶がよく飲まれるように

なったため日本でいう「天目」の形の茶碗も

使われなくなっていったという説があります。

 

また宋代の芸術は白磁や青磁に代表される

簡素な中に静謐な美しさをたたえる佇まいが

愛されていたため、華麗な輝きを見せる曜変

天目は重く見られなかったという説もあります。

実際、宋代の徽宗帝は『大観茶論』の中で

「茶器の色は青みを帯びた黒、ウサギの毛の

ような一種の流斑があるのが最上である」

としています。

これは兎毫箋(とごうさん)といわれる種類の

茶碗を指していて、確かに宋代の芸術に

トーンを同じくする質朴な中にも深い

味わいがある茶碗です。

 

しかし好みはいろいろあるでしょうが、

誰が見ても美しい芸術品があっさりすたれて

しまうのも解せませんね。

 

宮廷で使われていた?

 

2009年に中国杭州市の工場跡から中国で

初めて曜変天目の破片が発見されました。

ここからは他にも越窯、定窯、建窯、吉州窯

汝窯、鞏義窯、朝鮮半島の青絵磁器など

上質な陶磁器の破片が多く出土していて、

南宋の旧城跡に近いことから、朝廷の集積地

だったのではないかと見られています。

 

一番多く出土したのは定窯の白磁で、その中

には「御厨」「苑」「後苑」「殿」「貴妃」「尚薬局」

のように宮廷内で使用される品であると

思われる刻印のある物も多くありました。

そのため発見された曜変天目茶碗も宮廷用

であった可能性が高いと見られています。

少なくとも宮廷用品や高麗渡りの品と同等の

高級品であったことは確かでしょう。

やはり当時でもそれなりに高い価値が認めら

れていたのに、後世に伝わっていないのは

もともと制作された数が少なく、制作が

続かないような事情があったと想像できます。

 

曜変天目の製作者は1人?

 

南宋期に制作された曜変天目がごく少ないのは

製法を知る者が1人しかいなかったのでは

ないかと思われます。

中国の伝統では職人や芸術家が持つ特殊な

製法や技法は一子相伝で、しかも娘には

伝えない、家族にも決して明かさないのが

基本でした。

他に類を見ない芸術品であるゆえに曜変天目

も気軽に弟子に教えたりはしなかったと

思われます。

子供がいなかったり、あるいは伝える前に

亡くなってしまったりすれば、製法は

あっさり途絶えてしまう。

曜変天目にもそういう背景があったのでは

ないでしょうか。

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曜変天目の値段はいくら?

曜変天目茶碗_杭州【中国で発見された曜変天目】

近年、日本の陶工によって現代に甦ったとは

言うものの、それによって宋代の曜変天目の

価値が下がるわけではありません。

 

2009年に中国で発見された曜変天目の破片は

所有者となった人から2500元(約4万円)

で河南の骨董愛好家に譲られ、次に河坊街の

骨董店に1万5000元(約24万5000円)で

売られ、最終的に杭州の古越会館に25万元

(約400万円)以上の価格で買い取られました。

思ったより安い気もしますが、破片の集まり

ですから。

 

日本の曜変天目の1つ、しかも曜変天目の

最高峰と言われる稲葉天目は大正7年に

稲葉家から売り立てされていますが、その際

には16万7千円の値が付きました。

これは現代にすれば約16億8000万円に相当

するようです。

 

今後売買されることはまずないと思いますが

美術品としても歴史的価値も当時以上に

高く評価されている今、売られるとしたら

まさに天井知らずですよね。

それでも、「どれだけ出しても欲しい」という

人はいるんだろうなぁ。

燿変油滴抹茶茶碗 鎌田幸二

ちなみに似た雰囲気の上の燿変油滴茶碗が

アマゾンでは48万円でした。

神秘的な美しさを持つ曜変天目。

実物も確かにすばらしいですが、個人的には

これを作った人に対する想像が膨らみます。

名前さえ残っていないけれど、これだけ

世間の関心を集めて、高く評価されている

この状況を草葉の陰でさぞ満足な思いで

見ているだろうなぁと。

たぶん苦労して生み出した製法だと思い

ますが、報われたと言っていいのでは

ないでしょうか。

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