ルキノ・ヴィスコンティのおすすめ映画!バイセクシャルの恋人は?

      2016/05/18

この記事の所要時間: 1126

今年はルキノ・ヴィスコンティの生誕110年

没後40年だそうです。

各地でヴィスコンティ監督作品が上演される

ことでしょう。

自身も貴族の出身だったこともあり、作品も

庶民がどう頑張っても撮れそうにない贅沢な

ものが多いです。

他に類を見ない贅沢な作品を生み出した

ルキノ・ヴィスコンティ監督について勝手に

言いたい放題!

 

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ルキノ・ヴィスコンティ:プロフィール

ルキノ・ヴィスコンティ

氏名:ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)

生年月日:1902年11月2日

没年月日:1976年3月17日

 

1906年、イタリア王国ミラノに誕生。

父はイタリア有数の貴族モドローネ公爵、

母は豪商の娘。

13世紀末から15世紀半ばまで、イタリアの

ミラノからロンバルディア地方を支配した

ヴィスコンティ家の傍流で、14世紀に

建てられた城で育ちました。

幼少期から芸術に囲まれて育ち、父がスカラ

座とも関わりを持つ興行主であったことも

ヴィスコンティの美意識に大きな影響を与えた

と思われます。

作家のガブリエレ・ダヌンツィオ、作曲家の

ジャコモ・プッチーニ、指揮者のアルトゥーロ・

トスカニーニなどと交流がありました。

 

ミラノとコモの私立学校で学んだ後、

1926年~1928年までピネローネの騎兵学校で

学び、その後従軍。

騎兵の経験でヴィスコンティは馬に魅了され、

除隊後は自ら厩舎を建てて競走馬を飼育し

競馬に没頭するようになります。

30代に入るとパリに移り住み、舞台俳優や

大道具の設計家として働くようになります。

1936年、パリで知り合ったココ・シャネルの

紹介でジャン・ルノワールのアシスタントに。

1942年に『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で

長編監督デビューを果たします。

 

ヴィスコンティと言えば映画監督して有名

ですが、当初は俳優や美術など舞台人。

コクトーの原作『恐るべき子供たち』の

演出以降は舞台演出家としても高い評価を

得ています。

ヴィスコンティ集成―退廃の美しさに彩られた孤独の肖像

 

ルキノ・ヴィスコンティ監督作品

 

【長編作品】

郵便配達は二度ベルを鳴らす Ossessione (1942年)

揺れる大地 La terra trema: episodio del mare (1948年)

ベリッシマ Bellissima (1951年)

夏の嵐 Senso (1954年)

白夜 Le notti bianche (1957年)

若者のすべて Rocco e i suoi fratelli (1960年)

山猫 Il gattopardo (1963年)

熊座の淡き星影 Vaghe stelle dell’orsa (1965年)

異邦人 Lo straniero (1967年)

地獄に堕ちた勇者ども The Damned / La caduta degli dei (1969年)

ベニスに死す Death in Venice / Morte a Venezia (1971年)

ルートヴィヒ Ludwig (1972年)

家族の肖像 Conversation Piece / Gruppo di famiglia in un interno (1974年)

イノセント L’innocente (1976年)

 

【短編作品】

Appunti su un fatto di cronaca (1953年) ドキュメンタリー

われら女性 Siamo donne (1953年) オムニバス

ボッカチオ’70 Boccaccio ’70 (1962年) オムニバス

華やかな魔女たち Le streghe (1966年) オムニバス

タッジオを求めて Alla ricerca di Tadzio (1970年) ドキュメンタリー

 

ルキノ・ヴィスコンティはバイセクシャル

 

ルキノ・ヴィスコンティはバイセクシャルで

そのことを公言していました。

最近は日本でもカミングアウトする人が

増えていますが、西洋でも当時としては

センセーショナルではあったでしょう。

でも西洋の文化人の間では「同性愛は文化」

的な気風もあったのではないかという

気もします。

騎兵学校や軍隊生活がきっかけかなとも

思われますが、貴族的な習慣からとも

考えられますね。

オープンにしてしまうところも貴族的。

マリー・アントワネット的?

「女がいなければ男を愛せばいいでしょ」

みたいな?

これは冗談ですけどね。

 

個人的には、好きな相手が異性だろうが

同性だろうが、大っぴらに吹聴する必要は

ないけれど隠す必要もないと思ってます。

 

ルキノ・ヴィスコンティの恋人たちは?

 

バイセクシャルを公言していた、ルキノ・

ヴィスコンティ。

女性やほかの男性との交際もあったでしょうが

有名なのは以下の3人です。

 

フランコ・ゼフィレッリ

フランコ・ゼフィネッリ

映画『ロミオとジュリエット』の監督として

知られていますが、もともとはイタリアの

舞台監督。

若くしてヴィスコンティの劇団に入団し、

俳優・装置係や演出助手として活躍した後、

映画の助監督に。

 

彼の場合は計画的にヴィスコンティに

取り入って恋人の座に納まったようで

ヴィスコンティは出世のための重要な

足掛かりだったと思われます。

俳優として起用され、映画監督としての

技術を教わっただけでなく、人脈も得て

いました。

 

寵愛を得て次第に自身の才能を発揮する

場を得ると、ヴィスコンティも彼に対し

映画人としても恋人としても嫉妬心を

いだくようになり、どろどろした関係に。

 

『夏の嵐』の撮影でゼフィレッリは助手を

務めていましたが、撮影現場でボヤ騒きが

発生してしまいました。

激怒したヴィスコンティは頭ごなしに

ゼフィレッリを罵倒。

反発を抑えかねたゼフィレッリはメガホンで

ヴィスコンティの頭を何度も殴りつけると

いう暴挙に出ました。

息の詰まるような沈黙が続いた後、ヴィス

コンティは何事もなかったように撮影を

再開したのだそうです。

このへんの愛憎劇は自伝に詳しく

大変面白いです。

興味がある方はご一読を!

ゼッフィレッリ自伝 (創元ライブラリ)

ゼフィレッリにとってヴィスコンティは

あくまで超えていくべき存在だったの

でしょう。

現在、政治家になっていることからも彼が

どれほど野心家かが分かるというもの。

 

アラン・ドロン

アラン・ドロン_山猫

 かつて日本でも一世を風靡し、二枚目の

代名詞ともなったアラン・ドロン。

彼もヴィスコンティのお気に入りでした。

『若者のすべて』で器用され、『山猫』にも

出演していますが、それ以降は絶縁状態と

なりました。

アラン・ドロンはヴィスコンティの作品に

出演する前にすでに二枚目俳優として

知られているので、無名時代に見いだされた

ヘルムート・バーガーほど恩を感じなかったの

かもしれません。

また女性遍歴も盛んで嫉妬深いヴィスコンティ

には耐えられなかったのではないでしょうか。

美貌を武器に世間を渡ってきた彼の本質は

ヴィスコンティの作品よりもルネ・クレマンの

『太陽がいっぱい』に見える気がします。

従順で誠実な恋人にはなり得ないタイプですよね。

 

ヘルムート・バーガー

ヘルムート・バーガー_ルートヴィヒ

 オーストリア出身の俳優。

1964年、まだ演劇学校に通っていた頃、

『熊座の淡き星影』の撮影現場を見物して

いた時、ヘルムート・バーガーの美貌に

目をとめたヴィスコンティ。

その日はとても寒かったので監督は助監督に

命じて、ヘルムート・バーガーにマフラーを

持って行かせました。

これがきっかけで1964年『華やかな魔女たち』

でスクリーンデビューを果たします。

嫉妬深いヴィスコンティはヘルムートが

夜遊びすることも制したため、彼は

ヴィスコンティが眠ってからこっそり

踊りに出かけていたそうです。

 

ヴィスコンティが一流であり貴族的だなと

思えるのは、お気に入りだからといって

いきなり抜擢するのではなく、レナード・

バーンスタイン、マリア・カラス、ルドルフ・

ヌレエフなど一流の芸術家に引き合わせたり、

さまざまな文化的素養を身につけさせて

自分好みの一流の俳優に育てた点です。

イタリアの光源氏って感じ。

 

ヘルムート・バーガー自身もヴィスコンティを

師として、父として、恋人として愛し、

彼の死後は自分のことを、

「ヴィスコンティの未亡人」

と称したほど、深い愛情を持っていたようです。

1994年には女優のフランチェスカ・グイダート

と結婚しましたが、後に別居。

2010年には1ヶ月200ユーロ(約2万2千円)

で極貧生活を送っていると報じられました。

ヴィスコンティの遺産を使い果たして友人宅

を転々としているものの、絵画などの数点は

どうしても手放せずにいるそうです。

切ない!

ある意味、逆『ベニスに死す』かも。

 

おすすすめヴィスコンティ作品は? 

ビヨルン・アンドレセン

どの作品も捨てがたく、全部見てお気に入りの

作品を見つけていただきたいと思いますが、

1本だけ選ぶなら個人的には、やはり

『ベニスに死す』です。

 

トーマス・マンの同名小説が原作のこの作品は

トーマス・マン自身と作曲家のグスタフ・

マーラーが主人公アッシェンバハがモデルと

言われています。

美少年タジオ役のビヨルン・アンドレセンの

ただならぬ美貌はもちろんで見所ですが、

これに対する老作曲家アシェンバハの姿や

存在の浅ましさとの対比が哀しくも切なく、

美しく、涙を誘います。

ベニスに死す

静養でベニスに向かう老作曲家は船の中で

美少年タジオに出会い、彼に理想の美を見つけ 、

彼の姿を求めてベニスの街をさまようようになる。

老いた自分の醜悪さを厭う作曲家は髪を染め

白粉を塗り、紅を施してタジオを探し求める。

流行している疫病にかかっても、ベニスを

離れることなく、浜辺のデッキチェアに身を

横たえ、遠くタジオの姿を見ながら静かに

息を引き取る。

 

夏の光が照り付けるベニスの浜辺、朦朧と

するアシェンバハの顔は化粧が溶け落ち

さらに醜悪なものになっている。

しかし、その視線の先には白い浜辺と

青い空、青い海を背景に遊ぶ美しい少年。

美醜の対比の中に滅びの美学とでもいうべき

ものが感じられます。

作品の中で使われたマーラーの交響曲第5番

第4楽章「アダージェット」が美しすぎて

この音楽を聞いただけで泣ける条件反射が

身についてしまいました。

ベニスに死す [DVD]

 

上述したようにいくつもの愛憎劇を経てきた

(であろう)彼にとって、触れることもできない

神聖な存在を見ながら息を引き取ることは

彼自身が何度も夢見てきた切ない至福で

あったのだろうかと想像できて泣ける!

 

宮沢賢治の詩にも、

「あなたの方からみたらずゐぶん

さんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのはやっぱり

きれいな青ぞらとすきとほった風ばかりです」

というのがありますが、自分も息を引き取る

時には美しいものを見て逝きたいという

思いがあるからかもしれません。

「願わくば花の下にて春死なん

その如月の望月の頃」

が私の最期の理想。

大蛮族の人生とはいかなくても、幸福感の中で

別れを告げたいと思うわけですよ。

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