エルザ・スキャパレリの経歴と成功哲学!シャネルとの確執とは?

   

スキャパレリ
この記事の所要時間: 624

ココ・シャネルがその才能に嫉妬したと

伝えられる類まれなセンスのデザイナー

エルザ・スキャパレリ。

裕福な家庭に生まれ、時の芸術家とも

交流があったスキャパレリ

しかし、ショッキングピンクや布地と同じ

カラーのジッパーは彼女が生み出したもの。

ニットのデザイナーも彼女がパイオニア

でした。

そろそろ時代もスキャパレリに追いついた

のではないでしょうか。

エルザ・スキャパレリについて調べてみました。

 

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ローマの名門に生まれて

 

氏名:エルザス・キャパレリ(Elsa Schiaparelli)

生年月日:1890年9月10日

没年月日:1973年11月13日

 

エルザ・スキャパレリは1890年9月、

ローマのバロック建築パラッツォ・コルシー

ニに生まれ、そこで育ちました。

パラッツォ・コルシーニは現在では美術館に

なっています。

父はアラビア文学の教授、叔父に天文学者

古代文字学者、考古学者などインテリ一族。

母はメディチ家の末裔、父のセレスティーノ

は国家科学院図書館の館長であり、アラビア

語やアラビア文化の教授でした。

叔父のジョヴァンニ・スキャパレリは天文

学者で天文台長、上院議員でもありました。

 

もともとは俳優志向

 

大学に入れる年齢でないころから、父のコネ

でローマ大学に潜り込み、哲学を学んだ

スキャパレリですが、本当は舞台人になりたい

と思っていました。

しかし時代も時代、名門ゆえに許されません

でした。

そこでスキャパレリはエロティックな詩集

『アレトゥーサ』(Arethusia)を出版。

これも良家の子女にあるまじき行為であり、

罰としてエルザは修道院に送られてしまい

ます。

しかし、絶食でこれに抗議して家に戻る

ことができました。

もともと表現したいという欲求が強い人

のようです。

 

ある時、姉の友人の慈善事業を手伝うため

ロンドンに向かったエルザはその途中で

パリに立ち寄り、自分でデザインした

ピンでとめただけのスカートを穿いて

パーティーに出席。

初めて前衛デザイナーとしての才能を

表した時でした。

 

結婚後アメリカを経てパリへ

 

それまでも恋多き女だったエルザはロンドン

で神智学を教えるウイリアム・ド・ケルロル

伯爵と知り合い電撃結婚。

伯爵の仕事に同行してニューヨークへ。

しかし、たちまち愛は冷め、娘ができたが

夫は姿を消してしまいます。

お金も底をつき働かなければならないのに

仕事は見つからない。

スキャパレリはフランシスという芸術家の

招きに応じて娘とパリへ。

昼間はアンティークショップで働き、夜は

開店したばかりのレストラン、ルブッフ

シュールル・デュトワでたむろする日々。

この店はパリの文士、特にダダイズムの

思想家が集まる店でした。

 

ある日、エルザは友人とサントノ通りの

オートクチュールメゾン「ポール・ポワレ」

を訪れます。

そこで1着のローヴに魅入られたエルザが

思わず体にあてると、ポール・ポワレは

それを彼女にプレゼントしました。

あまり彼女によく似合っていたので。

そのローヴは黒のベルベットに裏地は青の

クレープデシン。

彼女はこのローヴ啓発されて、ビビッドな

色彩と刺繍を特徴とする自身のデザインを

描き始めます。

アヴァンギャルドなデザインで名を馳せる

デザイナー・スキャパレリ誕生前夜でした。

 

スキャパレリの哲学

 

イタリアのローマに生まれ1930、1940年代

に活躍したクチュリエール。

前衛的なファッションでイタリア、フランス

は、もちろんアメリカでも人気を博し、時代

の寵児となったスキャパレリ。

華やかに見える彼女の人生の根底にあった

のは幼い日に父が言った言葉でした。

 

ある日、父は幼いエルザ・スキャパレリを

連れてローマ郊外の教会の塔に連れていくと

街を見下ろして、こう言いました。

「広場に通じる道は1本じゃない。

生きることも同じだ」と。

 

成長したスキャパレリは困難にぶつかっても

そこで諦めることなく、

「この道がダメなら別の道を」

というやり方で成功をつかんだんですね。

 

例えば、エルザは周りから、

「おまえは不細工だが、お姉さんは美しい」

と言って育てられたそうです。

彼女は自分でも、そう思い込み、

しかし、悲観するのではなく、

自分を美しくする方法を考えだした。

ある意味、見方を変えるともいえるこの姿勢

は確かに成功のための姿勢でもあり

クリエイティブな毎日を送るための秘訣かも。

 

ファッション界の寵児2人の暗闘

 

女の嫉妬は怖いもの。

7歳年上のココ・シャネルはスキャパレリを

激しく敵対視していました。

ローマに生まれたスキャパレリですが、

1930年、パリに店を構えたことからシャネル

が敵対する存在になったようです。

 

優雅なファッションで世界中の女性が憧れる

シャネルのファッションですが、単なる

ライバル視ではなく、けっこうえげつない

感じで目の敵にしていたようです。

 

ある日、第二次世界大戦勃発前夜のパリで

開かれた仮装パーティー。

シャネルはスキャパレリをダンスのパートナー

に誘うと、踊りながらワザとを装って燭台に

ぶつかります。

倒れたろうそくでスキャパレリのスカートに

火がつき、その場の客が慌ててソーダ水を

スキャパレリにかける。

水も滴りスキャパレリはいたたまれず、

その場を退場。

というような事件があったことも。

 

白・クロ・ベージュなどシックな色彩と

シンプルなデザインのシャネル。

ショッキングピンクを始めとする鮮やかな

色遣いとモダンアートのように奇抜な

デザインのスキャパレリ。

まったく対照的なので争う必要はない気も

しますが、シャネルにとっては不倶戴天の

敵だったようです。

容姿を言えばシャネルに軍配というのが

一般的見解でしょう。

しかし、出身をいうなら孤児院で育った

シャネルと押しも押されもせぬ名門の

令嬢スキャパレリとでは最初から勝負に

なりません。

シャネルのスキャパレリに対する確執は

この辺に根深い理由がありそうです。

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